2007年2月
四苦=生老病死 生れてくる苦、老いてゆく苦、病の苦、死への苦、
八苦=愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦 愛する人との別れる苦、
嫌な人と会う苦、求めても得られない苦、五体から生じる煩悩の苦、
これらは欲を捨てる心で解決できるという仏の教えの内容から出ています。
2007年3月
シキ ソク セ ゙クウ
色 足是 空
空 足是 色
色=物質世界(3次元世界)、 空=霊世界(4次元〜の世界)、 波動(周波数)の速さの順番は物(色)⇒音⇒電波⇒光⇒霊(空)となっている、例えば
電波は見えないけれどもエネルギーとして在り、光を電波に変え又光に戻して
テレビとして使っている、一昔前は音の波動まで理解していた、現在は電波・光の世界まで科学(分析理解)できている、空の波動の速さの中に、それ以下の
波動の世界は含まれているという内容、
原因と結果の法則(宇宙の法則) (因縁生起)
この宇宙空間に存在するもの人間を始め全てのものに、あてはめることが出来る普遍の法則。
全ての物事には、原因があって現在の結果がある、幸・不幸も自分が蒔いた
種に自分が水をやり育てたことの答えであって、不幸や失敗の原因を他に
転嫁することは間違い、という仏法の教え、
2007年4月
自分自身を振り返り、正しさの基準に照らして反省する為の仏法の教え、
座禅などするときに活かします、基準持たずに座禅すると反って危険です。
今回はその1番目の「正見」です、
物事正しく見ているかどうか、案外自分の色眼鏡で見ていることが多いのです
因果の理法で見ることが重要です、原因があって結果が出ている、その原因は自分が蒔いた種に自分が水をやり育てた結果である、他人の所為にすることは間違いだ、という観点で人間関係や出来事を見直して見ましょう。
2007年5月
2007年6月
2番目 「正思」 自分自身の心の内を見つめて点検すること。
自分自身の保身にこだわって他人を害していないか!
よくよく突き詰めると結局は自己を滅ぼすことになっている。
煩悩の中心にある次の3点についての思いの点検。
貪(とん)=名誉欲、地位欲、金銭欲、などの過ぎたる「むさぼり」の思い。
瞋(じん)=怒り・・・カッとする動物的な感情的な怒り。
癡(ち)=自己中心の愚かな心、社会は縦横全ての支えで出来ている。
2007年7月
3番目 「正語」 人間の幸・不幸に大きく関係する。 苦しみの大半は言葉が原因となっている。 他人(自分)が発した言葉が自分(他人)を不幸にする。
否定的な言葉は不幸の拡大生産になるので積極的・建設的な他人を励ます
ような言葉を発するように心掛ける。誤って発したら反省で消します。
不妄語=嘘・偽り 不悪口=悪口 不両舌=二枚舌
不綺語=心にも無い過ぎたお世辞 この四つの指針を点検して言葉の調律を図る。
2007年8月
4番目 「正業」 正しい行いということで、現代的には、主に仕事を考える。
1点は仕事の目的が自らの良心に照らして反していないということが大切。
生活の為・金銭の為だけでなく天命と感じる適性にあった仕事をする。
気をつける点は、平等に囚われることでなく役割(適材適所であること)です。
2点目は他の人々との調和が保て、幸せの輪が広がる仕事であること。
競争し切磋琢磨して社会が進化・発展することは正しい(企業間競争を否定
するものではない)。
古い教義では、殺すなかれ・盗むなかれ・姦淫するなかれの3点をです。
2007年9月
5番目 「正命」 心(正思)と言葉(正語)と行い(正業)の調和のとれた生活を
行うことの点検をし、毎日の生活を正しくする。
八正道は今回までの正見、正思、正語、正業、正命の後、正精進、正念、正定
の8項目の反省・点検する為の入り口から、自分自身の心の点検を行い、心が
穏やかに幸福な人生を送る為の仏法の教えの柱の一つです。
僧侶や行者などが、お経として、正見〜正定を唱えていますが、唱えるのが
目的では無く、毎日自分自身の心に問いかけて間違いを修正することが
本来のお経の目的です。 次回は煩悩(貪・瞋・癡)について、
五官煩悩と言われ、人間の悪しき思いと行動の原因、108の煩悩があると一般的にいわれています。 仏法では六大煩悩=貪・瞋・癡(八正道の正思)に慢・疑・悪見と分類しています。 人間の本質は心(魂・霊)であり、肉体は三次元世界で生活する為の乗物(舟)というのが正しい真実の世界です。 煩悩で判り易いのは、食欲・色欲・物欲・名誉欲(権力)で、これらは全て肉体に重心を置いたところから発生する (五陰盛苦)欲望の世界です。人間がこの三次元世界で生きていく上で、肉体は重要なもので、その肉体を維持する為には、適切な欲望は認めなければなりません、 仏法では、肉体を否定するのでなく、心とのバランスをとることを教えています。 その方法として、八正道による日々の反省で自分自身の心の点検をすることが大切とされています。 現代のマスメディアを中心として、報道の自由と称した、エロ・グロの氾濫が人間の悪しき精神育成に大きく影響し、 善悪正邪の判断が狂っているいるように思いますが?
2007年11月
布施=魂の向上となる施しであり、単なる物・お金等の授受ではありません 布施の成立の為の条件は「三輪清浄」であることが必要です 三輪= 1施者(能施)・・・布施する人 2受者(所施)・・・布施を受ける人 3施物・・・布施するもの 清浄である為には、与える人が清々しく、爽やかで、執着の無い心であり、 受ける人が感謝の心で受け取ること、そして 施物が穢れのないことです 清浄でない不浄とは、我欲、名誉心、虚栄心、物質欲、に関わった心や ギブアンドテイクの心の状態であったり、 施物が盗んだものや、いかがわしいものなどです。 施物には、物やお金だけでなく、顔施といって他人の心を明るくする笑顔などがあります、また、 最も大切な布施は法施であります、これは悟りの道に入った出家者などが 仏の教え(真理)を説法することです。 八正道が心の思いを規定するのに対し、六波羅蜜多(利自即利他)の行動の 現れ方の一つです、 六波羅蜜多=布施・持戒・?提・精進・禅定・般若の六つです, 布施は与える愛(慈悲)の実践で菩薩行の柱となっています。 出家者が托鉢で在家から布施を受ける行為は、布施する在家者はその行為で、 与える愛の実行をさせて頂く機会を頂いたことに感謝して、ありがたいという思いから行うことが大切です。逆に、受ける出家者もまた、愛(慈悲)の実行をしていることになります。
2007年12月
シクハック 四苦八苦
2008年1月
利自即利他(自利利他) 現代風に言えば 進歩と調和 利自とは自分自身の精神(心)・健康(身体)・経済・他で他人に迷惑や負担をかけない、自分自身の確立を図り、常に進歩・発展すること。 利他は利自で自分を確立させた上で、他に対する支援・協力を行うこと。 この時に注意しなければならないのは、あくまで相手の自立を助ける支援であり、ただ援助することだけに終わってはならないことです。 現代の風潮では、他を批判・非難・攻撃することでもって、正義を行っているという(特にマスメディアはその色が濃い)誤った民主主義が多い様に思われることが目につくように感じます。先ず自らの果たすべき責務を果たし行動しているか(利自)自らを正した上で他に介入する(利他)ことが大切なことではないでしょうか? 思い行動のには、愛(慈悲)があるか? 正しい知識・智慧に基づいているか(法律だけで正邪の全てを決めていないか)? 自分自身の思いや行動の点検を出来ているか? 進歩・発展・繁栄の姿勢が維持出来ているか? これらのことがベースにないと間違いを起こし易い。
どっちつかず・中途半端 ということではありません、 両極端を去り、バランスのとれた最高の状態のことを指します、楽器などで弦は強く張り過ぎても、緩くても良い音が出なかったり、 スポーツなどで体に力が入り過ぎても、力を抜きすぎても良い結果が出ません。 人間の苦しみは、心と体から生じますが、中道は苦しみから離れて安らぎへ向かう道です。 自分の苦しみや不幸を、他人や環境のせいにして外に向かって発したり(憎しみ、怒り、嫉妬、羨望、猜疑心、など)、逆に、自分を責めさいなみ、自分自身を信じないという内に向って発したり(自己卑下、消極性、同情を引く など) いずれかに偏ることも中道から外れます。 仏法では、「色心不二」といって、色(肉体)と心(霊体・魂)は一体で、この世での生活をする 形態となっており、そのどちらかに偏っても(傷ついても)病となり苦となることを教えています肉体から生じる(六大煩悩)欲に支配されて唯物的(肉体中心)になり、心とのバランスが 崩れないようにチェツクする方法として「八正道」が準備されています。 人間の本質は霊体であり、肉体はこの世の生活をする為の、一時的な乗り物にすぎない、 実在界という本来の世界から、何千・何万回と3憶6千万年前から転生輪廻していることを、 仏法で教えています。
2008年2月
2010・9・1
徳島 川島城の麓の吉野川の 川中島(日本一の広さ)への橋と鮎捕りの船?
彼岸へは橋を渡っての道? 船に乗っての道? 川を泳いで?