2008年4月
サンポウ   
心の健康(思慧の部屋)
今までに連載の内容 2
心の健康 仏法真理 今までの連載記事
三宝とは、現生(再誕)の仏陀と仏陀の説く法と僧団(サンガ)の3つです
三宝帰依といわれ、仏に帰依し法に帰依しサンガに帰依することが悟りへの道に入る為の条件です。
仏陀とは悟りたる者ということで、この3次元の世界での、指導者(TOP)の立場にある方で、
2~3千年の間隔で再誕し法を説いて、人間の生きていく方向、善悪正邪を示されます。
ここ五千年前後に下生された仏陀に、ヘルメス・ゴータマシッダールタ・イエスキリスト・孔子・他がおられます。
例えば、南無妙法蓮華経の意味は、「泥沼に咲く蓮の花のような妙なる法(教え)に帰依します」という内容です。従って、唱えるだけでなく 法(教え)の内容を理解することが必要です
聖書は理解しやすい言葉になっていますが、イエスが3年程度の期間しか教えられなかった為に、内容が少ない、仏教は釈迦に八四千の法門ありと言われていますが、古代インドの言葉が漢語になって伝わり、時代を経たことで誤った理解や内容が判らなくなってきている、等の現状です
真の信仰(宗教)は人間が3次元で生きていく為の、大切なものですが2~3千年経つと、合わなくなる面があり時代に合った新しい法を説くために仏陀が下生再誕されます。
仏法から見た、日本の現状の 問題認識 (私見)
太平洋戦争で日本の神道(民族神)に強烈な印象もった、キリスト圏の戦勝国の強い指導で日本から宗教の精神的柱を公から排除されました
そのため、日本人は善悪正邪を法律でのみ判断・認識することが大勢となり、その思想が主流となって、社会の乱れが増幅されて進行していると考えれれます
(日本神道には法が殆どないと認識しており、神道の復活を願う意味ではありません)
人間は一人で生きているのでない、助け合い協調して生きている、したがって
その中で、自分が自分がと、突っ張った生き方では、自分も他人にも苦しみを創り幸せになれない。
社会構成の一員として、自己を統御することが大切というのが、無我の教えです。
この根底には、人間は死ねば何もかも無くなるものではない、心(魂=霊体)は不滅で、
死は肉体から霊体が離れて、元いた本来の世界(実在界)に帰っていくことであり、
この世で自分だと思っている六根(眼耳鼻舌身意)を中心にした見方の肉体は死で無くなる。
という真実の世界があるという考え方です。(無霊魂の考え方は誤りです)
釈迦の教えの中の、「不常不断」(断常の中道) 常ならず、断ならずの思想で理解できます。
別の言い方をすれば、我という執着を去って、仏神に向って(念仏)精進しなさいということです。
仏法から見た、現状の 問題認識 (私見)
僧侶なかには、無霊魂・あの世はないとの誤った考え方をしながら、内容も理解できていない?
漢文でできた、お経を唱え、経済活動を行い、何の救いもできてい人がいることは、
2008年5月
ム    ガ 
憂う状態です、   死んだらどうなりますか?と聞いて、答えが返ってくればいいですが!
2010・7・4
2008年6月
ゲダツ      
解脱とは煩悩の束縛から脱しての自由を得た境地のことです
三次元・地上的・物質的なものから生じる束縛からが自由になることで
煩悩については既にに掲載をしております(次ページのバックナンバーを参照)
解脱には、信解脱・定解脱・慧解脱・心解脱・倶解脱に区分(段階)できます
信解脱=信仰心による解脱、正しい仏法真理をより疑を克服すること
定解脱=禅定・精神統一による解脱、反省(八正道)等で心を見つめ正邪を治めること
慧解脱=智慧による解脱、無明の克服、仏法真理の深い学びで正邪を知り心の安定を得る
心解脱=感情・理性を統合した解脱、信解脱・定解脱・慧解脱を統合し慈悲と空と無我の状態
倶解脱=滅尽定(最高度の禅定)と慧解脱を合わせたもので、大宇宙と一体となる仏陀の悟りレベル
仏法真理による現代の問題思考  (私見)
最近 自殺の報をよく目にしますが、真実の世界(真理)に無知(無明)から、死ねば何もかも無くなると
誤った認識で肉体の死を選ぶのですが、自殺で肉体は死で終わりますが、
心(魂・霊体)は永遠に不滅であることを知らねばならない(地縛霊・不成仏となってさ迷うことになる)
2008年7月
今回は 三法印「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の一つ「涅槃」についてです
涅槃=ニルブァーナ(サンスクリット語)で吹き消すという意味=漢語では滅尽
涅槃の境地に至るというのは、澄み切った湖のような静かで平安な心の状態のなかで、
この世の世界を見られる境地に至ることです
この世の迷い・苦しみを達観した心で(本来の世界=実在界=霊界から見るような)見下ろす状態です
涅槃は2つに分けられます  有余(依)涅槃or現法涅槃と無余(依)涅槃
(生きながらにして、死後の平安な心の境地を得ること=仏教では正しい修行で涅槃に至るを目標としています)
無余涅槃=この世を去って(魂が肉体から離れて)肉体を原因とする、悪しき思いの出ない状態
涅槃とは肉体を滅することではありません、この世での心の平安の(悟り)の状態で入れる境地であり、
目標にして修行(この世での生活を正しくする)しなさいということです、死ねば必ず涅槃の世界に至る
ことではありません、死後は、この世での心の(悟り)レベルにしか帰れないことを教えています
迷い⇒煩悩(貪・瞋・癡)の悪しき精神作用を吹き消すこと、吹き消した状態を涅槃の状態と言います
有余涅槃=身体・肉体を持った状態で涅槃の境地に至ること⇒生前解脱
ネハン    
大乗仏教は一切衆生の救済を柱とした宗派で、小乗仏教は個々人の悟りを柱とした宗派です。
現在の日本の仏教でいえば、大乗は浄土宗系であり小乗は真言密教系に大別されます。
利自(自利)即利他の利自が小乗に利他が大乗になります。
釈尊(ゴータマシッダールタ)の教えは、大乗の内容も小乗の内容も全てありました。(八万四千の法門あり)
釈尊没後の400年前後して、経典が整備され、また釈尊レベルまで弟子の理解認識が及ばないため
其々の認識で、一番と理解する教えを守り伝導した為、多くの宗派が発生しました。
お経とは、釈尊が対機説法で教えた法を纏めたもので、人間の生き方や真実の世界また善悪正邪を
(内容を理解せず漢文の音読を聞くことが目的ではありません・・・・・葬式で聞くお経の内容が判りますか?)
仏教だけでなく、キリスト教もイスラム教も儒教もまた日本民族神の神道も、内容の高低や幅に差はあっても
この世とあの世・善悪正邪・真実の世界を仏陀(悟りたる最高指導者=釈尊に限らず、イエス他)がその時代の
指針として説いたのがお経(仏教のお経やキリスト教の聖書 他)です。
私見=日本は戦後 善悪正邪を法律のみで判断しようとしているため、乱れた社会の収集がつかない状態?
そして 総義務放棄時代 権利のみ主張し義務無視 政治も教育もマスメディアも、多くの国民の常識も!
2008年8月
大乗仏教と小乗仏教
その時々の相手のレベルに合わせて説法したもので、内容を理解して日々の人生に活かしてこそ有難いのです。
2008年9月
シグセイガン   
仏道修行に励む者の心がけを、教えとした内容です
求道者の達成したいと願って起こす誓いとも言えます
誓願には「総願=共通の願い」と「別願=個々人の特別な願い」があり「四弘誓願」は総願です
1番目
<衆生無辺誓願度>  (シュジョウムヘンセイガンド)
衆生=生きとし生けるもの=一切の生き物=人間・動物・植物を意味します
無辺=数限りなく無数にある生きものを意味します
度=渡す=悟りの彼岸に連れて行く・救うという意味です
2番目
<煩悩無尽誓願断>  (ボンノウムジンセイガンダン)   (煩悩について2007年11月記事参照)
その雑草部分を上手く刈り取って肝心なものを生かすという意味です
(雑草も生えない土地には肝心必要なものも生えないということも言えます)
人間の生命エネルギーと不可分ではありますが、毎日毎日刈り取っても刈り取っても出てくる煩悩
3番4番及び補足と纏めは次回に続きます
解   脱
涅   槃
無   我
四弘誓願(1)
三   宝
(シグゼイガン)
3番目      利自(自利)から利他へ
<法門無量誓願学>  (ホウモンムリョウセイガンガク) (法門無尽)(誓願知)
悟りに至る為には、沢山(無量)の法(教え)門(入口・ルート)がありますが、それを学び尽すという内容
何回も転生輪廻しながら色々な国・身分・職業・等を経験しながら法を学び、悟りへと一歩一歩すすんでいくのですが、
今回の人生で出来る限り多く学ぼうという誓い、   釈迦に八万四千の法門あり
<仏道無上誓願成>  (ブツドウムジョウセイガンジョウ)   (誓願証)
仏道(悟りの道、仏になるための道)は無上(最高でありなかなか成し遂げられない)であるが修行を重ね
成し遂げたい、今世そして来世そして来々世と、努めるという内容
葬式・法事などで僧の読経を聞いていると、聞こえてくることが多い言葉です=読経がありがたいのでなく理解が大切
仏教の修行論の基本 三法印 の 第一の法門 諸行無常 について
時間論の領域  時間の流れの中での変転をを基にした、大宇宙の姿の説明
この三次元宇宙に存在する全てのものは移ろいゆくもので、固定したものはない!
四弘誓願(2)
シグセイガン
2008年10月
4番目      利自(自利)から利他へ
四弘誓願は釈迦の時代のお経ではなく、中国において出来たものです
2008年11月
ショギョウムジョウ
諸行無常
一切の現象、物質(人間の肉体も含めて)のみならず、人間の心に生起、去来するものも、
これら全てに、執着していては、本当の自分自身の姿は見えない、固定化、安定化したものの
中に、自分を求めようとするが、変化変転してゆくことこそが真理
流れゆく川のなかを、竿を手繰りながら筏で下って行くのが人生の真実
親も子も夫婦も友人も、今世の数十年の一瞬の舞台での役柄であって、永遠のものでない
本来の実在界に帰るまでの、魂の発展・向上の為の修行の場が三次元世界の存在する真実
変化変転の流れゆく時間の中で、いかに成長して本来の世界に帰るかが人生の目的
苦難・困難と現れるこの世での事象も、魂を磨く為の問題集にすぎない!
また、この世で自分に解けない問題を仏神が与えることはない、ということを知ることが大切
現代の交通事故死より多い自殺は、真実の世界を知ることで無くなる!自ら望んでこの世での
魂修行の為に、舞台に立ったこと、それを自ら放棄することが自殺の真実!
2008年12月
ショホウムガ
諸法無我
仏教の修行論の基本 三法印 の 第二の法門 諸法無我 について
私たちがこの世において、眼耳鼻舌身意で理解している、現実だと思っていることは、
本来の世界である実在界からみれば、夢のなかでの事象のようなもので、
舞台に上がって演技しているようなもの、舞台に上がる前の世界が本当の世界。
肉体に宿り生老病死を繰り返し、そして、あの世に還って行く仮の世界。
この世に於いて恒常的なもの、永遠のものは一切無い、
この世をあらしめているのは、仏神の力であり、我なる力であらしめているものでない、
偉大なる目に見えない力によって、存在しているのが、この3次元宇宙に在る全てのものの実相。
これが諸法無我の意味する内容。
生まれて来て、魂の発展・向上の為に、揉まれ成長して、死という卒業で、また帰って行くことが真実。
従って、自殺は肉体を無くすことであっても、その中に居る本当の自分を無くすことで無い、
また、我見で与えられた肉体を無くすという誤った行為の悪の償いを永遠の世界で行うことになる。
生かされているということを理解しない現代の人間世界の傲慢な思いが、数々の困難・苦難の原因と
このことから、人間の生死を見ると永遠の世界である実在界(霊速の世界)からこの3次元(光速の世界)に
なっていること、善悪正邪を人間の作った法律だけで判断することの間違いを仏法真理は教えている。
涅槃というのは、この世的なる肉体を中心とした、迷いを吹き消した状態に至ることの意味
涅槃の境地を別の言い方では阿羅漢の境地と言うことになります。
この世で生きていながら苦しみと七転八倒して格闘するのでなく、
山深い静かな環境の、澄み切った切った湖の底にある、小石等(現在の自分の苦しみや悩み)を見る
このような心境にあることを、涅槃寂静の境地と言います
この世の舞台に上がる前に居た本来の世界(実在界・あの世・四次元以降)からこの世の自分の
2009年1月
ネハンジャクジョウ
涅槃寂静
在り方、苦しみの存在を見ることのできる境地にあることとも言えます。
涅槃での間違った理解に、この世の舞台を降りて実在界に帰ることが全てと考えることがあります。
勿論、完全な涅槃である無余依涅槃(般涅槃)は実在界に帰った(この世での死)状態での涅槃である
離身解脱がありますが、  (原語でパリニッバーナと言います)
ここでは、大多数の人に関する、有余(依)涅槃=生前解脱=この世的な精神作用・身体の穢れを
残したまま涅槃にはいること、を述べました
三法印を初め、既に連載しました八正道等の仏法真理に則った生活をして、
この世の数十年間の舞台で一層の磨きをかけて卒業して永遠の生命の世界である実在界に帰ることが人生の目的です、
先ず 戒律 全体像を取り上げました。 (戒=自分自身に対する戒め、律=罰則ルール(例→現代では法律))
戒を守って悪を犯さず、心の乱れを統御して精神統一を続けるなかで、内なる智慧が生じてくることが三学の目的
2009年2月
サンガク
三   学
なを、三学に 解脱 と 解脱知見 を 加え 五分法身 といい 仏となる為の五つの修行項目とされています。
また、三帰五戒 として、三宝(仏法僧)に帰依し戒を和尚から授けられて、仏教教団の信者となれました、
和尚というのは出家者を指導する地位にある僧で、出家希望者は和尚に申し出て戒を授けてもらいます、
和尚と同じですが、出家者が旅先等で和尚の指導を受けられない環境にある時に和尚に代わって指導する者を
阿闍利と言います=現在は高僧を指していますが元々とは違っています、)
戒律は小乗仏教と大乗仏教で、分類、呼称、他 異なりますが、一般的な大乗での内容を中心にいたします。
参考までに、小乗での概略は、 波羅夷法(婬・盗・断人命・大妄語)、 僧残法、不定法、捨堕法、止持戒、
作持戒、と区分されます。
大乗では、一般的に耳なれた区分や説明が多くよく知られています、
一つは、大乗の十善戒と言われ、身三(不殺生・不偸盗・不邪婬)、口四(不妄語・不悪口・不両舌・不綺語)、
意三(貪・瞋・邪見)の区分のもの、五戒と言われ、身三に不妄語と不飲酒としたもの、また、六法戒、
八斎戒、十戒、としたものがあります。
比丘(男)の250戒・比丘尼(女)の348戒と言うのも知られています、 
修行者の課題の中心、 三学 戒の 一番目 身三 について。
身三 というのは 身体に関する 三つの戒めのことです。
一番目 不殺生 (殺すなかれ)  全ての生き物を殺してはいけない。
厳密に徹底すれば 人間だけでなく 動物も 植物 まで 含むことになります   何事も行き過ぎるのは
よくないことで 自らのこの世での生存の為の 最低限の 殺生 は 許されると考えるべきです
仏法真理に反する 行いはいけない と 解すべきでしょう。
ジャイナ教徒のように農業まで否定してしまう極端は狭い正邪の思考となります
二番目 不偸盗 (盗むなかれ) 特に説明要しない内容だと考えます 
三番目 不邪婬 (男女の性的な交わりするなかれ)
 出家僧には性交のみならず、男女が手をつなぐことも許されていない厳しいものでした
在家に対しては 妻以外の女性と交わってはいけない ということです
以上の3項は 現代では 特に 重要な 戒め だと 考えられる内容だと思われます
殺人・盗難・不倫の多発、エログロ意識の氾濫、唯物思想が 人類世界から 幸福への
2009年3月
シンサン
身   三
(インドでの仏教僧が途絶えたのは不邪婬(妻帯禁止)が原因でもあり、26百年前での問題点?)
壁を厚くしている事実に目覚めることが急がれます!
2009年4月
ク     シ
口   四
口四 というのは 口(言葉)に関する 四つの戒めのことです。
特に悟りの嘘は重視されます。
二番目 不悪口(フアック) 悪口を言ってはいけない、
但し、正当な批判をすることを禁じているものではありません、
相手を生かす、相手を救う為の意見、批判は勇気を持って行うことが大切です、
三番目 不両舌(フリョウゼツ) 二枚舌を使ってはいけない、仲違いさせるような発言
四番目 不綺語(フキゴ) 心にもないお世辞、おべんちゃらはいけない、
過ぎたお世辞は、相手を利用する気持ちがあると出やすい、
前回の身三が八正道の正業であり、口四は正語になります、
正語は弱弱しく、あまり言葉を発しないと言うことではありません、
積極性を忘れず、建設的な励ます言葉を常に発することが大切です、
現代は間違った批判で言葉の暴力が横行しています、適度に言うべきは言って、
一番目 不妄語(フモウゴ) 嘘をつかない、騙しはいけない ということです、
攻撃させない、相手の悪を助長させない反撃する勇気・力も必要です。
2009年5月
イ サ ン
意  三
修行者の課題の中心、 三学 戒の 三番目 意三(無貪・無瞋・不邪見) について。
意三 というのは 心(思い・念い)に関する 三つの戒めのことです。
一番目 無貪(ムドン) むさぼるなかれ、 ということです、
(むさぼり)の対象は、金銭財物だけでを意味するものではありません、
欲しい欲しいという貪の思い、自己中心の念い 等が、苦しみの中心に在ります、
身分不相応な処遇、努力以上の結果、を求めることもなども該当します、
結果平等主義の誤った教育が、現代人の苦しみの多くを生じさせています
二番目 無瞋(ムジン) 怒ることなかれ ということです
動物的に、カーッと怒る感情です、瞬間湯沸器てきな怒りの戒めです
知性的・理性的に叱ることは、根底に慈悲・愛があり「生かす愛」として大切です
肉体の疾患・欠陥が原因であったり、飲酒が原因であったりする場合もあります
三番目 不邪見(フジャケン) よこしまな(邪)見解をもつな ということです
正しい判断をする為には、正しい知識の経験による智慧が大切です
縁起の理法(原因と結果)に基づいて正しい物事の見方・判断が必要です
嫉妬・妬みをベースに、物事を見る現代の風潮は、よくよく注意が必要だと思います
八正道の正思の範疇に入るのが、意三 です  貪瞋癡(トン・ジン・チ)=心の三毒
戒の対象者
と種類
戒を誰が守るかは、七衆として 7種類に区分されています
1)比丘(ビク)    20歳以上の男性で、和尚(先生)から具足戒を授けられた正式な僧侶   <250戒>
2)比丘尼(ビクニ)  20歳以上の女性で、和尚尼から具足戒を授けられた正式な女性僧侶    <348戒>
3)式叉摩那(シキシャマナ)(正学女)  18歳以上20歳未満の 見習尼           <六法戒>
4)沙弥(シャミ)               7歳以上20歳未満 の 出家見習僧      <十戒>
5)沙弥尼                   7歳以上18歳未満 の 出家見習尼      <十戒>
6)優婆塞(ウバソク)             在家の男性信者               <五戒>
7)優婆夷(ウバイ)              在家の女性信者               <五戒>
特)近住(ゴンジュウ) 6)7)の布薩(月6回 一昼夜 出家僧のような修行の日)の日     <八斎戒>
戒の区分     (プロの比丘・比丘尼の具足戒 250戒と348戒はここでは除きました)
五戒        不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒
             不飲酒  現代的に言えば 過度の飲酒や薬物等での人格を失う行為
六法戒       五戒の不邪婬を更に厳しくした離非梵行とプラス 非時食戒
八斎戒       六法戒に離歌舞聴香塗身(歌踊り音楽を行い見聞きすること)と
           離高広大床(ベッド)の2つをプラス
十戒        六法戒に離歌舞観聴 と 離香油塗身 (八斎戒では1つを分けている) と
           離高広床大床 と 離金銀宝物 を プラス
2009年6月
現代的には、厳しすぎると思われますが、心のブレーキを忘れた今の時代、少しは参考にするのも良いのかも?
心の面から見ると、あちこちで暴走族となって組作って走っているのが、今の世界であるのかもしれません。
2009年7月
ゴジョウシンカン
五停心観1
三学の二番目となる「定」のなかから「五停心観」を取り上げました(定は幅広く種類も沢山あります)
よく耳にする「禅定」の言葉の意味ですが、 禅=ディヤーナ=ヨーガ=心身の調和を目的とした修法で
定=サマーディ=三昧=ある一つの対象に心を集中し平安な状態にすること、且つ物事の本質を見るということです
五停心観=心の乱れ動きを止める五つの修行の方法
1) 不浄観   汚いものを観る  貪りの心の修法  「貪」   よく使われた場面は「情欲・性欲」に対する方法
心が燃え盛り煩悩でいっぱいだけれども、その対象も、一皮剥いた内臓・白骨の状態を想像したり、死体で腐乱した
状態を想像すれば、心が鎮まってくる、  煩悩の炎が収まってくる のを目的とした修法です
情欲・性欲だけで無く、他にも対象はあります、 現代には特に必要と思われる修法です
2)慈悲観   怒りを抑える修法  「瞋」   カーツとなる動物的な怒りに対する方法
好き嫌いで対処するのでなく平等視しする=みんな同じ仏神の子  自分の主観だけで決めつけない
更に「抜苦与楽」の心(相手の苦を抜き楽を与える為に何かできないか?)で対することが大切、
3)因縁観   愚痴・不平不満に対する修法  「癡」  愚かさを断つための方法
愚痴・不平不満が出るのは、因果の法則に無知なことから生じている
出ている結果は自らの播いた種が原因であることに気づかず、結果に我慢できない心の状態、
現代で多いのは、自らの努力をせずに、他と同じになることを求める、結果平等主義の蔓延?
(間違った教育が、間違った人生観・善悪判断をする人を育ててきた影響も大きい?)
補足    三学は先のものが下敷きとなって次のものが活きてくる関係にあります  戒があって定があり、次に慧があります
      止観(定の類義語) 止=心の波立ち・日常生活から脱却するために心を鎮めて行くこと、(受動的)
                  観=集中して心の目で見ること、念いをぐっと向けて念ずること、(能動的)