2010・8・5
今までに連載の内容
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2009年8月
五停心観=心の乱れ動きを止める五つの修行の方法 前回の 不浄観 慈悲観 因縁観に続き
4) 界分別観(界差別観) 自我が強い人が特に行うべき修法 (カイブンベツカン 我見を抑える修法)
五停心観2
自分が自分がとプライド高く、人を傷つけ、問題起こす、この自我の執われの自分を認識している基は何か?
を分別し分解すると、自分というのは18種類の要素で構成されている。
六根=眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官で世界と接し、つかんでいて、その対象は=色・声・香・味・触・法(界をつけ色界・・)
の6つ、ここまでで十二処。そしてその感じる器官(六根)と六つの対象のあいだにできる認識の世界が、
眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界の六界で計18界となります。
自分が自分がと、思っているが自分も他人も、この18界のなかでの感覚で反応し、その結果が自分を作っている世界にすぎない、
例えば、相手が自分より美人だと思っても、それは眼の作用にしかすぎない、負けた部分を自分は違うところで、何か
張って自己を発揮しようと我を張るのは間違いだと考える、他人との比較で苦しみを作っているが、18階に分解してみると
こんなものにしかすぎないのだ、と自我の高まりを抑えること。
5) 数息観 散乱心(散心=サンジン)を抑える方法、 心がよく乱れるのを治める修法。
雑念ばかりで集中できない、一つのことに打ち込めないと時の修法。
吸う息・吐く息を、1・2・3・・・・・・と深呼吸しながら数えて、50、100と続けるなかで、心が穏やかになってきます。
以上が五停心観ですが、1番目の不浄観と5番めの数息観が心を鎮めるために、重要で初心者でも簡単にできる観法です。
心中の炎や波立ちを止める為の「定」としては、更にランクアップした「四禅定」などの禅定があります。
ここでは触れませんが、五蘊の仮和合を人間形成要因とし霊存在を否定する間違った考え方があります。
2009年9月
慧の内容は、「定」と同じく非常に深く広く高いもので、言葉による説明が出来にくいと言われています。
サンガク エ
智慧を得ることで、明かり(光)を得、無明が破られ、その結果 解脱となる、そして
慧
悟りの境地=涅槃の境地に入るということの流れになります。
慧をつかむということは、悟りの直前まできていることとなります。
言い換えれば、知識を得て、経験と思索という修行を重ねることで、人間とは? 世界とは?
或いは 善とは? 悪とは? 等々の一切を知ることから、悟りへの道を進むこととなります。
慧の種類には、生得慧 と 三慧 に 分けられます。
① 生得慧 生まれつき持っている慧 この世に生れてから、教えられて得たものではない慧
嬉しいと思う 美しいと思う 楽しいと思う など 生まれて後 学ぶ時間や成長のない時点から
既に持っている慧 赤ちゃんが 笑ったり 喜んだり 表現することを見れば理解できます
直観力とか洞察力 判断力 などは 生まれつきの 差があるようです。
*)生得慧は 転生輪廻 で この世に出てくる前に居た、本来の世界で持っていた慧が
本人の意識するしないとは別に、潜在意識として存在し現れていることともいえます。
② 三 慧 修行の課題とするのは、後天的な部分である 三慧 になります。
三慧 は 聞慧 思慧 修慧 の3種です
2009年10月
1)聞慧 聞いて得る智慧
モンエ・シエ
現代のように色々な情報伝達の方法が発達していない時代は聞いて学ぶことが中心でした
門慧・思慧
何を学ぶか? ⇒ 魂の糧となる学び ⇒ 仏神の教え = 真理(神理)
真理の知識を得ることで智慧が現れてきます
今まで理解できなかったことが、理解できるようになる
というような 後天的な智慧が現れてきます
基礎の部分であり 叡智を手に入れる為の、 ベース作りが聞慧です
2)思慧 思索によって得る智慧
聞慧で得た 真理知識について、 疑問や不可解なところが無い状態まで
トコトン 思索することで 自分自身のものにすること
聴いて覚えただけでは、単なる知識の暗記にしかすぎません
深く深く 考え 自分のものにすることで、 また 応用も利くことができます
次回は 三慧の3番目 修慧と 識と般若
2009年11月
修行者がなすべき修行項目である三学の三番目となる「慧」の2番目の「三慧}
シキとハンニャ
三慧は後天的に得る智慧で 聞慧 思慧 修慧 の3種類
三慧
識と般若
3)修 慧 修行によって得られる智慧
修行⇒修法 禅定によって得られる智慧 2)の思慧は1回禅定して瞑想状態に入って考えることですが
毎日毎日あるいは毎週毎週のように習慣化して、学びを深め深く考えることを繰り返し繰り返し行い、
禅定状態・瞑想状態を築いていくことで智慧が習慣性にまで高められます、
このような状態にまでなることを 修慧といいます
知識として学ぶことが「門慧」であり、学んだ知識について深く深く考え、毎日毎日 実習するのが「修慧」です
以上 慧 の3種類に関わる 識 と 般若 について
識 現実的な知性 この世的に通用しやすい知性をいいます
仕事が出来る! 頭がいい! 学校の成績優秀 というような 知的な 知恵が 識 です
別の言い方をすると 判断力 分析力 実務能力 などの この世てきに 有用な力です
そして 識は自己がシッカリしていて、自分の立場から他をよく分析できること=自我意識の裏付けが強い
そのため 他は 見ることに優れているが 自分を見ることが出来てないという面があります
般若 (パンニャを音写し漢語にした)は 慧に当たり あの世的な力に裏付けされた知性です
識が分析能力であるのにたいし、全体をみる、つながりをみる、統合して認識する力が般若です
洞察力・直観で見抜く力ということです
宗教的に言えば 自燈明ということで 自分自身を明るくしながら 周りも明るく照らする力です
無我・無執着の認識、境地が裏付けにあることで、自己の視点以外の視点で見ることができるのが般若の智慧です
無我の境地になると、自己を離れて 自己も他をも見ることができるようになる
2009年12月
三慧は後天的に得る智慧で 聞慧 思慧 修慧 の3種類
ニョジツチケン
前回で 識は自我意識の裏付けがあり、般若は無我・無執着の意識に裏付けされている
般若と
如実知見
無我の境地であることが、自己の視点以外の見方ができるということを記載しました
般若は善悪不二の立場で見ることが出来るようになります
善人の中にも悪を含む部分があり、悪人の中にも善を含むものがある、善悪は別のものでなく
一つのもの、生きとし生けるものの生命の躍動を見、この世の善悪を超えて、
すべてのなかの素晴らしいものをみていくことを般若の目といいます
般若の立場を表現する、一つの言葉が「如実知見」で、八正道の正見にあたります
ありのままに見る、色のつかない白紙の目で見るということです
人は生まれ育った、環境・教育・思想などによる 強い偏見を持っています
こだわりのある目、偏った見方をしている見方を、中道の白紙の目で見る、鏡に映すように自分も他人も、
世界も見る、如実知見の、この正しいものの見方が般若に繋がるものです
般若が識より上にあるのですが、識を無視してよいということではありません
この世的に力を発揮する識が、宗教的な般若の働きを支えなければ悩みや葛藤から
脱すことが出来ない部分もあります
般若の智慧を得る目的は、「無常」「苦」「無我」「空」というような宗教的な悟り
この世的観点と あの世的観点から観る、真実の世界を知ることで、煩悩を断ち切る力を
得ることです
今回までで、仏法の主要な事項の解説を、一旦 終わり、
次回からは、仏法を基に現代の諸問題の善悪正邪の分析を行いたいと思います
悟りの入り口まで未だ遠いところに居る者の分析であり間違いが、あるかもわかりませんが
己の精進を目的に頑張ります
2010年1月
昨年までは仏法の基礎的な部分の押さえておくべき事項を掲載いたしました
今年の計画
今年は仏法真理を基にして、日常の諸問題を抽出して提起して行きたいと考えています
日常生活の中での常識として存在するものが、本当に正しいことなのか?
科学的な判断と言われるものが真に科学的なのか?科学的とは?
現在の文化は将来も人間の幸福を促進するのだろうか?
今 日本は国難に向かってスタートを切ったように思われるのですが?
政治・経済・教育・文化・等々 大きな問題に挑戦して見たいと
身分不相応ですが、自分自身の成長の為にと、
さて! 何処まで続けられるか?
今まで ブログで 後期高齢者予備軍のボヤキ としていたものを
この ページで 我見 となりますが 連載 いたします
学校の囲いの中での生徒会の活動?のような現内閣の政治?
アメリカのせいにして自らの失策を理解していない経済不況?
権利の主張は十分するのに義務は無視の文化・教育・他 ?
法律信仰が蔓延して精神的な高まりを求めない慌廃した常識?
批判はするけど自省はない世界 特にマスメディアのマッチポンプ?
こんなことを手掛かりに 自我我見を発信したいと計画しています
今年も宜しくお願い申し上げます
2010年2月
仏法 利自即利他 (自利即利他) の 観点からの分析です
コドモテアテ
政府は マニフェスト による 子供手当 や 農家の個別所得補償 の 実行に入ったようですが
子供手当と農家の所得補償
この政策は正しいのでしょうか?
人口減による国の衰退を防ぐという目的が、正しいのは理解できます
食糧自給率が低いうえ 農家の高齢化や減少 生産低下 の 対策を行わなければならないのも理解できます
然しながら 国から金を渡す 方法は 間違いと言わざるを得ません
国民 総準 公務員化 です 大きな政府となり 税負担の拡大は 当然の行き着く先なのは明白
そして 何よりも怖いのは 国民の努力・やる気を低下させて、活力のない国になる道です
仏法の利自即利他 は 先ず 自らが自立した上で 周りの支援を行うことが正しい理と説いています
自立する為には 必死の努力・精進し 互いに切磋琢磨 した結果において成るもの
戦後の誤った 結果平等 教育で多くの日本人には間違った常識が氾濫していると感じるのは誤り?
競争することを否定したり、ゆとり教育と称して自助努力や向上心を弱め 義務を果たすこと忘れ権利のみ主張
批判はするが自省は無い 善悪正邪を 法律のみで判断しようとする 精神的な柱が不在の文化
現在のに日本は世界的に観れば 裕福で恵まれた 天国 が それは 義務を果たさず恩恵のみ得てきた
結果のもの 国も国民も同じ状態 飢えで苦しみ 安全で苦しむ 外の世界に果たすべきことは多いはず
少し 内容がズレきましたので 元へ戻せば
税金で国民の生活を図って 崩壊したのが 共産主義・社会主義の国家 その 行程へ 先祖返りを
進め出したのが 今の政治の状態? 税負担の増加は自明の理 そして 努力精進し智慧を働かし
成長向上 より 楽で みんな同じ生活(貧困の基での平等)を求める社会
そこには 成長発展のない衰退への国創り道を歩む姿が予想出来るのは 独断と偏見か?